学生のとき、とある公園を摂理の朝のお祈り会で使っていました。
いつも賛美し、御言葉を聞いて、恵み深い場所でしたが、
多少ゴミが目立つのが気になっていました。
ある朝、その日は授業がなかったので
お祈り会後に残って、ゴミを拾うことにしました。
特に誰かに声をかけたわけではないけれど
私がゴミを集めているのを見て、
帰ろうとしていたメンバーが自主的に手伝ってくれました。
人は善いことをしたい気持ちは持っているが、
周りの目が気になって、なかなか実践するのが難しいときがある。
でも誰かが勇気をもって始めれば、
きっと多くの人が賛同してくれて、協力してくれるようになる。
人は誰でも心のどこかで善いことをしたいと願っているのだ。
善いことを始めるのには勇気がいる。
先生は一人のときに、勇気を出して、摂理を始められた。
そして、今では50カ国の人々が参加する壮大な神様の歴史になった。
摂理に来る人も様々だが、
報道で悪い噂を知っていても
実際に参加して、善いことに取り組んでいるのを見ると、
自主的に手伝ってくれるようになる。
そしてまた、新しい人を紹介してくれる。
人は善いことを求める。
だから摂理は広がり続ける。
2008⁄08⁄09 19:27 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
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