私はかつて、教会のリーダーとの関係性で悩んだ時期がありました。
自分の考えが強かったことも一つの原因ですが、
どうしてもリーダーのやり方についていけませんでした。
自分が愛せない人を愛そうとすることはとても難しいことでした。
相手を心から認められないとき、人の愛では愛することができないのだと思います。
日本の教会において、リーダーの存在は大きく、
リーダーとぶつかると教会に通うことが非常に難しくなります。
私は次第に痩せていき、いくら食べても、顔がやつれていきました。
本質的に、恵み深い生活がおくれていなかったからだと思います。
当時の写真を見ると、とても理想世界の生活をしているようには見えません。
霊魂がいつも泣いていたのがわかります。
私は苦悩の中、ただひたすら神様に祈るしかありませんでした。
神様は、そのたびに御言葉で励ましてくださったし、
時には人を送って、私の心を解いてくださいました。
そんな私を決定的に救ったのは、
ある摂理の牧師さんと話したときでした。
その牧師さんは、リーダーの若いときを知っており、
その良い点も悪い点も良く分かっていました。
そして、こう言いました。
「結局、リーダーも自分の限界の中でもがいている。
神様の前では不完全な兄弟の一人だ。
出来れば良くなろうと努力している。分かってあげて欲しい。」
その言葉に、私は『神様の視点』を感じました。
神様の目には皆、同じ御言葉のもと、努力している愛らしい子供達だと。
そう思うと、神様が子供達のケンカを喜ぶはずがなく、
できれは、互いに敬い、仕えあい、仲良く過ごして欲しいと願っている。
そして、自分の心では愛せなかったそのリーダーが
方法は賛同できなくても、神様のために命がけで頑張ろうとしているその姿を見ると、
何だかひどく愛らしく思えてきました。
そして、『神様の視点』で私自身を見たとき、いたずらにリーダーと衝突するのでなく、
結果として、互いの足りないところをフォローして、多くの命が生まれてくるように
最善のポジショニングをすべきだと考えるようになりました。
それは自分中心の考えを折るきっかけともなりました。
長い時間がかかったけれど、私の表情も、もとの恵み深さを取戻せました。
そして今は、たくさん辛い思いを経験した分、
前よりもっと人に優しくなれるようになりました。
結局、神様は私が苦しむのを望んでいるはずがないし、
私が人生をあきらめてしまうことを喜ばれるはずがありません。
神様の歴史に、私の存在がいなくなってしまうのは大きな損失だ。
そのように考えることができるようになりました。
それ以来、私はいつも
『神様の視点』で眺めることを心がけてきました。
それは自分中心の考えを捨てることだし、
自分の愛では愛せない人を愛することでもあります。
過去の私がそうだったように
強い自分のせいで、自ら苦しむ人は多くいます。
会社でも上司との人間関係に悩んで、ついには辞めていく人もいます。
どんな組織でも関係性の問題で人は去っていくものです。
摂理を走って、それなりに歳月を重ねるようになりましたが、
『神様の視点』で眺めてみる。
結局それは摂理を走るコツ、
そして何より人生を生きるコツだと感じています。
2008⁄07⁄19 12:12 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
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