私の母は、7人兄妹の末っ子でした。
祖父は若くして他界し、
祖母が女手ひとつで7人の子を養いました。
仕事がろくにある時代ではなく、
子供達を満足に食べさせてあげることもできなかったそうです。
祖母は幼き母を胸に抱き、
何度も海の前に立ったという。
飛び込もうとするたびに、懐の我が子をみて踏みとどまった。
子の笑顔を見ると、死ぬことは出来なかったそうです。
結局、商売をして、7人の子を見事に育て上げました。
私も小さい頃から、祖母が大好きでした。
大変な苦労人だったのですが、
その死に顔は、とても穏やかだったのを覚えています。
当たり前のことだけど
命を産んだものには責任がある。
それは肉的にも霊的にも言える事。
私も伝道した人が何人か今も摂理にいます。
時には神様の与える試練の中で、自らの命を絶ちたいと思ったこともありました。
しかし信仰の親として、残される子の事を考えると、
全てのことに耐え忍び、自分の限界を超えていくしかありませんでした。
命の責任が私を支えてきました。
私はこれからも決して自ら命を絶つことはない。
私の伝道した人を、信仰のみなしごにしてはいけない。
生みの親がいれば、育ての親もいる。
ジョージ・ミラーは聖句に感動し
孤児院を立てた。神様のかわりにみなしごを育てた。
これからも摂理には多くの命が生まれてくるだろう。
その中には少なからず信仰のみなしごとなってしまう人もいるだろう。
一人の摂理の先輩として、
私の建てる信仰の家で
みなしごを養う親となっていきたい。
2008⁄07⁄12 07:56 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
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