摂理では、普通の宗教団体ほど、お金が集まらない。
信者の年齢層がまだ、比較的若いこともある。
何より先生は、信仰がお金に流れてしまうことを嫌う。
また、集まったお金は信徒や伝道のために使うため、ほとんど残らない。
摂理を走っていると様々なイベントに参加したり、
新しい人におごってあげたり、お金に困るときもある。
それでも先生は御言葉の中でおっしゃる。
「お金がなくて、献金が出来ないからといって気にしなくて良い。
あなたは自分の青春を神様のために使っているのだ。
それはお金よりもずっと貴い捧げ物だ。」
この言葉は嬉しかった。
また、先生はこうもおっしゃった。
「お金がたくさんあれば伝道できるのではない。
素手で摂理を広げていくのが神様の御旨です。」
実際、私は一時期、経済の祝福を受けお金に困らなかったときがある。
その時は、たくさんおごってあげたが、その人たちは今は残っていない。
今も残っているのは、私がお金なく、何かおごってあげることもできなかったから
かわりに御言葉をおごってあげた人たちだ。
遅いようでいても
神様の世界はそうやって広がっていくのが正常なのだと思う。
先生はたとえ教団に対してでもおっしゃる。
「お金の使い方が間違っていれば、神様が裁く」
先生がそういう方だから、摂理がこの先もお金に流れることはないだろう。
そんな摂理を
私は愛している。
2008⁄05⁄24 07:40 カテゴリー:摂理 comment(0) trackback(0)
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