「自分の考えで見ると、自分の世界でしか見れない。」
月明洞に着いてすぐに作業班の人から頂いた言葉でした。
この言葉は、月明洞開発に参加し、
先生とひと夏を共に過ごす上で、大事な心構えとなりました。
当時、先生は月明洞開発を先頭に立っておこなっており、
全国からその姿を見に多くの人々が押しかけてきていました。
集まってきた人々が熱狂的に
「ソンセンニム サランヘヨー」(韓国語で「先生、愛してます」)
と叫んでいるのに全くついていけず、私は群集の中で沈黙していました。
どうして先生がそのように栄光を受けているのかを
もっと理解することも一つの目標だったから、
あせらず、自分のペースで消化すれば良いと自分に言い聞かせていました。
当時は、最も開発が活発に行われていた時期で、VISAのため一時帰国して
月明洞に戻ってくると、地形が変わっていたこともありました。
文字通り、山を移すような開発でしたが、
御言葉の中でも天国について語られることが多かったと思います。
「天国には材料が必要です。」
「天国は作られているものでなく、作っていくものです。」
「天国も環境を土台とするから環境が整っていないとできません。」
など、記せばキリがありません。
イエス様も天国についてはたくさん比喩で語られましたが、
先生は実際に天国のような場所を開発しながら、
天国についてよく理解できるように教えてくださいました。
「構想は神様」という言葉通りに、先生は神様の構想を受けながら開発を進めていました。
また、
「構想は初めから全て完全なものが与えられているのでなく、進めていくうちに
もっと具体的に見えてくるし、より理想的な構想ももらえる。」
とプールの開発を通して教えていただきました。
実際にプールの開発では、最初に受けていた構想を実践に移していく中で、
より良い構想が与えられ、未練なくやり直したりもしました。
作業中はご飯を食べるのも忘れて、やるときはとことん作業をしました。
あるときは、夜の12時を超えて作業をすることもありました。
「時を逃すと、後でいくらやっても出来なくなる。
だから今日のうちに、時間がなくてもやります。」
それは、日々の生活についてだけでなく、命の救いについても教えられているようでした。
先生は一日のうちに、あちこち月明洞を回り、
石の造型も様々な視点から眺めて、常にチェックをしていました。
ひとたび構想を受けて、実践に移すと、もの凄いスピードで作業は進んでいくのですが、
一つ一つの作業は落ち着いて丁寧でした。
先生は
「とにかく早くやろうとしてはいけない。
急いだりあせったりする人はそんなに遠くへはいけない。」
と御言葉の中でもおっしゃっていました。
「作り上げてこそ認められる。迫害する人も、この地に来たら、認めるしかない。」
「価値性とは、どれだけかけて作ったかではなく、どれだけ使われるかで左右される」
など、月明洞にたくさん来て、たくさん使いなさいとメンバーにおっしゃっていました。
月明洞開発に関わる全ての話は、結局のところ、
自分をそのように開発しなさいというメッセージにつながっていきます。
月明洞に行くたびに作業班の人から言われました。
「この地のように自分自身を、そして自分のいる教会を開発していきなさい。」
「スポーツも芸術も学問も、色んなことが出来たほうが神様も創った甲斐を感じる。」
また、大きな木になるためには小さな枝を全部切ってしまわないといけなかったことや
石の角を削ったり、八角亭の木材のささくれを磨いたりすることも象徴的な作業でした。
作業が終わると、次の日に備えてマクサと呼ばれる作業班の宿舎で早く休むのですが、
ある夜、私はどうしてもお祈りしたくて、暗くなった山道を登り、
独り神様に涙して祈っていました。皆が寝静まった深夜、
突然背後から先生の愛用されていたミニジープのエンジン音が聞こえてきて、
「イルボンサラム?」(韓国語で「日本人?」)
と先生が声をかけてくださいました。
言葉も通じないので、何も話すことは出来ませんでしたが、
その後、先生はジープを走らせ、月明洞をくまなく見回りに行かれました。
皆が寝静まっているときにも、続けて管理されているのを目の当たりにした瞬間でした。
先生が群集の前でだけ、実践されているのでなく、
人が見ていない場所でも、多くの実践をされていることを、
私は証しないといけないと思っています。
ひと夏の作業の中で、印象に残っている先生の姿は、
準備している姿と後片付けをしている姿です。
イベントが終わった後、月明洞は芝も傷むし、グラウンドも荒れます。
実際に月明洞は開発よりも管理の仕事の方が多いです。
木の葉や松が、石の造型の上に、毎日、落ちてくるため、
先生はホースで水をかけながら、洗い流していました。
翌日にはやっぱり、落ちてくるのに、先生は丁寧に洗い流していました。
それを通して悔い改めについて考えさせられたものでした。
夏の終わりに、私は作業に参加させていただいたお礼を言いに行くと、
先生は10万ウォン(当時、日本円で約1万円)をお小遣いとして下さいました。
実際は、それほど多くの手伝いができたわけでもないし、
ご飯や寝る場所も用意して頂いていたから
作業代の代わりとしても、あまりに申し訳ありませんでした。
何より、先生の作業されていた姿を間近で見てこれたことは、
お金に変えることはできないことだし、こうやって証していくことが、
少しでもその負債を返すことだと思っています。
月明洞に行くと、霊だけでなく、肉も充満に与えられてきました。
私もこれから新しく信仰の産声をあげる人たちに
先生が私に与えてくださったように、与えていきたいと思っています。
ひたすら先生の背中を追いかけた、熱い夏の日の月明洞でした。
2008⁄05⁄03 03:22 カテゴリー:私が見てきた先生 comment(0) trackback(0)
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