キリスト教福音宣教会こと「摂理」のメンバーが書いているブログです。
早いもので、このブログを書き始めてから5年になりました。
それほど記事数は多くはないのですが、有益な情報を心掛けてきたためか、「摂理」とGoogle検索してトップページに掲載されるまでになりました。
このブログについての理解の一助にと
比較的人気の高い記事などをここで紹介いたします。
【最も読まれた記事】
摂理を去った人たちへ
どうして伝道するのか
判決に対する抗議
摂理創設者 「鄭 明析」
【カテゴリ】
「私が見てきた先生」
マスコミからは「カルト」や「教祖」などの言葉で、明らかな宗教排斥を狙った印象操作が行われていますが、直接会ってきた私の体験談をもとに、鄭明析先生について記しています。
「私の摂理道」
既に摂理で信仰暦15年を数えるようになりました。日本人が信仰を持つにいたる過程や、どのような信仰体験をしてきたのか、信仰に興味がある方への参考として、恥ずかしながら自伝的に書き綴っています。
つたない記事ですが、広い心をもってお読み頂ければと思います。
ご訪問ありがとうございました。
2023⁄05⁄31 23:59 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
早いもので、このブログを書き始めてから5年になりました。
それほど記事数は多くはないのですが、有益な情報を心掛けてきたためか、「摂理」とGoogle検索してトップページに掲載されるまでになりました。
このブログについての理解の一助にと
比較的人気の高い記事などをここで紹介いたします。
【最も読まれた記事】
摂理を去った人たちへ
どうして伝道するのか
判決に対する抗議
摂理創設者 「鄭 明析」
【カテゴリ】
「私が見てきた先生」
マスコミからは「カルト」や「教祖」などの言葉で、明らかな宗教排斥を狙った印象操作が行われていますが、直接会ってきた私の体験談をもとに、鄭明析先生について記しています。
「私の摂理道」
既に摂理で信仰暦15年を数えるようになりました。日本人が信仰を持つにいたる過程や、どのような信仰体験をしてきたのか、信仰に興味がある方への参考として、恥ずかしながら自伝的に書き綴っています。
つたない記事ですが、広い心をもってお読み頂ければと思います。
ご訪問ありがとうございました。
2023⁄05⁄31 23:59 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
先日、八百屋に卵を買いに行ったとき、
私の不注意で、受け取った卵を落としてしまい、パックの中の一部がわれてしまいました。
八百屋の人が、すぐに新しいものと交換してくれて、
私は何度も「スイマセン」「スイマセン」とお詫びしながら、交換してもらった卵を携えて、家に帰りました。
信号で待っているとき、何かすっきりしなくて、主に聞きました。
卵が必要でしたが、一つ、二つ割れていても、大きな問題ではない。
やはり、あの割れた卵の入ったパックを私の責任で買って帰ろうと。
そういう感動がきて、再び八百屋へ引き返しました。
すると八百屋の人から、
「そんなことで帰ってこなくて良い、あの卵はさっき他の人が買ってくれた。」
私はびっくりしましたが、結局新しい卵を持って帰ることになりました。
一体、誰があの割れた卵を買ったのだろう。
わざわざ割れた卵を選んで買っていく人はいないと思います。
きっと八百屋の知り合いか誰かが卵が割れた瞬間を目撃し、その八百屋のために買ってあげたのではないでしょうか。
いずれにせよ神様が誰かに感動を与えて、働きかけてくださったのだと思います。
それから、私の中で、「今度は私が誰かのために、われた卵を買ってあげよう」という心が芽生えました。
私達は、多くの人々の支えあいの中で生きています。
誰かの過失を補うには誰かの犠牲が必要です。
復活祭の週に、蕎麦屋に入りました。
私が注文した品がなかなかこなくて、問い合わせたところ、アルバイトの子がまだ入って間もなく、
慣れていなかったことから、ちゃんと厨房まで伝わっていなかったことがわかりました。
自分の貴重な時間が随分失われてしまった。
と、いつもなら頭の中に、ぐるぐると同じ考えがめぐって時間をさらに損するところ
「われた卵」という言葉が自分の中に浮んできていました。
そして私は今、誰かのためにわれた卵を買ってあげられるのだ。
と嬉しい思いが溢れていました。
犠牲と許し
それがイエス・キリストの精神であり、
また何よりそれが自分自身を自由にするものだと思います。
2012⁄04⁄22 21:03 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
私の不注意で、受け取った卵を落としてしまい、パックの中の一部がわれてしまいました。
八百屋の人が、すぐに新しいものと交換してくれて、
私は何度も「スイマセン」「スイマセン」とお詫びしながら、交換してもらった卵を携えて、家に帰りました。
信号で待っているとき、何かすっきりしなくて、主に聞きました。
卵が必要でしたが、一つ、二つ割れていても、大きな問題ではない。
やはり、あの割れた卵の入ったパックを私の責任で買って帰ろうと。
そういう感動がきて、再び八百屋へ引き返しました。
すると八百屋の人から、
「そんなことで帰ってこなくて良い、あの卵はさっき他の人が買ってくれた。」
私はびっくりしましたが、結局新しい卵を持って帰ることになりました。
一体、誰があの割れた卵を買ったのだろう。
わざわざ割れた卵を選んで買っていく人はいないと思います。
きっと八百屋の知り合いか誰かが卵が割れた瞬間を目撃し、その八百屋のために買ってあげたのではないでしょうか。
いずれにせよ神様が誰かに感動を与えて、働きかけてくださったのだと思います。
それから、私の中で、「今度は私が誰かのために、われた卵を買ってあげよう」という心が芽生えました。
私達は、多くの人々の支えあいの中で生きています。
誰かの過失を補うには誰かの犠牲が必要です。
復活祭の週に、蕎麦屋に入りました。
私が注文した品がなかなかこなくて、問い合わせたところ、アルバイトの子がまだ入って間もなく、
慣れていなかったことから、ちゃんと厨房まで伝わっていなかったことがわかりました。
自分の貴重な時間が随分失われてしまった。
と、いつもなら頭の中に、ぐるぐると同じ考えがめぐって時間をさらに損するところ
「われた卵」という言葉が自分の中に浮んできていました。
そして私は今、誰かのためにわれた卵を買ってあげられるのだ。
と嬉しい思いが溢れていました。
犠牲と許し
それがイエス・キリストの精神であり、
また何よりそれが自分自身を自由にするものだと思います。
2012⁄04⁄22 21:03 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
ハレルヤ!
日本でも月明洞サイトがオープンしました。
月明洞 The Story of Wolmyeongdong

鄭明析先生が月明洞開発の指揮をとっていた際のエピソードがもりだくさんです。
月明洞開発の動機として、多くの人が集まって自由に祈り、神様に賛美し、栄光を帰して走り回れる場所が必要だったということ。
今になって本当によくわかります。
自由に祈り、神様に賛美できる環境。それは信仰者にとって、絶対になくてはならないものだと思います。
2012⁄03⁄25 20:31 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
日本でも月明洞サイトがオープンしました。
月明洞 The Story of Wolmyeongdong

鄭明析先生が月明洞開発の指揮をとっていた際のエピソードがもりだくさんです。
月明洞開発の動機として、多くの人が集まって自由に祈り、神様に賛美し、栄光を帰して走り回れる場所が必要だったということ。
今になって本当によくわかります。
自由に祈り、神様に賛美できる環境。それは信仰者にとって、絶対になくてはならないものだと思います。
2012⁄03⁄25 20:31 カテゴリー:あれこれ comment(0) trackback(0)
月明洞に住んで、その開発、管理に携わる人たちを通称「ウォルミョンドン・サラム」と呼ぶ。
日本語にすれば月明洞人とそのままなのだが、先生のことを誰よりもそばで共に働き支えていた格好良い人たちだった。
私は初めから先生のことがわかり、今のようについていったわけではない。
むしろあまりに多くの人が先生を取り囲んでいる様子に、「先生を神格化しているのではないか?」とつまづいてすらいた。
しかし、そのとき先生についての誤解を解いてくれたのもウォルミョンドン・サラムだった。
彼らは決して、自分を自慢したり見せびらかしたりするようなことがない。
先生のそばで直接学んでいた人たちだから、先生の精神を最も色濃く受けている人といえよう。
そして、その仕える精神、旅人をもてなす精神、
決して手を抜かない徹底ぶり、それらが何より先生をあらわしている姿だった。
その旅程で、私をはじめ月明洞に初めて来た一行が、行事が遅くなったこともあり、ホテルまで帰る手段に困った日があった。
そのとき、一人のウォルミョンドン・サラムがワゴン車で私達をホテルまで送ってくれることになった。
目的地につくやいなや、車を運転してくれていたその人が、誰よりも一番に車を飛び降りて、皆の重たい旅行カバンを降ろし始めた。
私はサイドシートに乗っていたが、遅れをとったと思いながら、すぐにその人に従って荷物を降ろすのを手伝った。
問答無用で実践するその姿に、わたしは何も言葉が出なかった。
ただ、ひたすら従っていくしかなかった。
自分の仕える精神が、未熟であることを思い知った瞬間だった。
そして、これこそが人々が先生に従っていく理由の一つだとわかった。
神様に真剣に仕える姿を見て、多くの人が誰に言われるまでもなく
ただ、支えようと感じていたのだと思う。
今は、自分も先生を支えるウォルミョンドン・サラムの一人になれただろうか。
先生が為そうとしている実践。神様の御心をこの地に、この御言葉を述べ伝えること。
今はその身が自由でない先生のために、私が代わりとなって働こう、そう思えるようになった。
2012⁄03⁄05 07:06 カテゴリー:私の摂理道 comment(0) trackback(0)
日本語にすれば月明洞人とそのままなのだが、先生のことを誰よりもそばで共に働き支えていた格好良い人たちだった。
私は初めから先生のことがわかり、今のようについていったわけではない。
むしろあまりに多くの人が先生を取り囲んでいる様子に、「先生を神格化しているのではないか?」とつまづいてすらいた。
しかし、そのとき先生についての誤解を解いてくれたのもウォルミョンドン・サラムだった。
彼らは決して、自分を自慢したり見せびらかしたりするようなことがない。
先生のそばで直接学んでいた人たちだから、先生の精神を最も色濃く受けている人といえよう。
そして、その仕える精神、旅人をもてなす精神、
決して手を抜かない徹底ぶり、それらが何より先生をあらわしている姿だった。
その旅程で、私をはじめ月明洞に初めて来た一行が、行事が遅くなったこともあり、ホテルまで帰る手段に困った日があった。
そのとき、一人のウォルミョンドン・サラムがワゴン車で私達をホテルまで送ってくれることになった。
目的地につくやいなや、車を運転してくれていたその人が、誰よりも一番に車を飛び降りて、皆の重たい旅行カバンを降ろし始めた。
私はサイドシートに乗っていたが、遅れをとったと思いながら、すぐにその人に従って荷物を降ろすのを手伝った。
問答無用で実践するその姿に、わたしは何も言葉が出なかった。
ただ、ひたすら従っていくしかなかった。
自分の仕える精神が、未熟であることを思い知った瞬間だった。
そして、これこそが人々が先生に従っていく理由の一つだとわかった。
神様に真剣に仕える姿を見て、多くの人が誰に言われるまでもなく
ただ、支えようと感じていたのだと思う。
今は、自分も先生を支えるウォルミョンドン・サラムの一人になれただろうか。
先生が為そうとしている実践。神様の御心をこの地に、この御言葉を述べ伝えること。
今はその身が自由でない先生のために、私が代わりとなって働こう、そう思えるようになった。
2012⁄03⁄05 07:06 カテゴリー:私の摂理道 comment(0) trackback(0)
今では歌わなくなったが、
昔、そういうタイトルの賛美歌があった。
私の心に 沁みこむその人 離れられず・・・
という歌いだしから始まる。
私が初めて月明洞を訪れたののは1996年12月のことだ。
何分当時のことはメモもあまりのこっておらず、記憶をたどる作業になる。
といっても、毎日、先生により伝えられた御言葉がある意味、メモになっているのだが。
月明洞に着くやいなや、先生との出会いは訪れた。
先生はクリスマスの電飾を手がけており、
遠方からクリスマスを祝いにくる人々を迎えるため、忙しく準備されていた。
あまりに普通のおじさんが作業しているように見えて、いささか意外だった。
約一週間の滞在の間に、先生にソリの乗り方を教わったり、
バレーボールをしたりしたのを覚えている。(私が見てきた先生3参照)
しかし、何より印象的だったのは御言葉の時間だろう。
その時は、ダビデの話が毎日、詳しく述べ伝えられていたが
当時の私は、まだ旧約聖書を読みきってなく、十分理解出来ずに悔しい思いをしたのを覚えている。
雨が降っていたせいだったかどうか定かでないが、食堂で御言葉が伝えられる日があった。
今思えば、先生が食堂で御言葉を伝えられるのは後にも先にもその時しか私には経験がない。
その時は、人が一杯で食堂には入りきれずに、背の高い人が
側面の窓から顔を覗かせながら御言葉を聞いていた。
何としてでも先生の御言葉を聞こうとするその姿勢が先生にも褒められていた。
それはまるでイエス様の時代のザアカイを見るようだった。
先生に初めて会ったとき、電飾を用意していたその姿は
完全に作業者の一人そのものだった。
しかし、確かにその人は、時代の御言葉を携えており、聖書を成し遂げる人だった。
私の心に深く沁みこみ、離れられないその姿・・・
そう、私は
「月明洞その人」に会ったのだ。
2012⁄02⁄15 22:46 カテゴリー:私の摂理道 comment(0) trackback(0)
昔、そういうタイトルの賛美歌があった。
私の心に 沁みこむその人 離れられず・・・
という歌いだしから始まる。
私が初めて月明洞を訪れたののは1996年12月のことだ。
何分当時のことはメモもあまりのこっておらず、記憶をたどる作業になる。
といっても、毎日、先生により伝えられた御言葉がある意味、メモになっているのだが。
月明洞に着くやいなや、先生との出会いは訪れた。
先生はクリスマスの電飾を手がけており、
遠方からクリスマスを祝いにくる人々を迎えるため、忙しく準備されていた。
あまりに普通のおじさんが作業しているように見えて、いささか意外だった。
約一週間の滞在の間に、先生にソリの乗り方を教わったり、
バレーボールをしたりしたのを覚えている。(私が見てきた先生3参照)
しかし、何より印象的だったのは御言葉の時間だろう。
その時は、ダビデの話が毎日、詳しく述べ伝えられていたが
当時の私は、まだ旧約聖書を読みきってなく、十分理解出来ずに悔しい思いをしたのを覚えている。
雨が降っていたせいだったかどうか定かでないが、食堂で御言葉が伝えられる日があった。
今思えば、先生が食堂で御言葉を伝えられるのは後にも先にもその時しか私には経験がない。
その時は、人が一杯で食堂には入りきれずに、背の高い人が
側面の窓から顔を覗かせながら御言葉を聞いていた。
何としてでも先生の御言葉を聞こうとするその姿勢が先生にも褒められていた。
それはまるでイエス様の時代のザアカイを見るようだった。
先生に初めて会ったとき、電飾を用意していたその姿は
完全に作業者の一人そのものだった。
しかし、確かにその人は、時代の御言葉を携えており、聖書を成し遂げる人だった。
私の心に深く沁みこみ、離れられないその姿・・・
そう、私は
「月明洞その人」に会ったのだ。
2012⁄02⁄15 22:46 カテゴリー:私の摂理道 comment(0) trackback(0)











